2010年1月30日土曜日

Epilogue

 ベルサイユ宮殿をスタートした4輪115台中、完走したのは、41台。
完走率は、たったの26%・・・・。
勿論、ビリの栄光に輝いたのは言うまでもなくこの私たちだ。

 いつリタイヤしてもおかしくないほど、ギリギリの戦いだった。
いくつものラッキーが重なり、何度も仲間に助けられ、砂漠の神からも見捨てられず、毎日を必死に積み重ねた。 辛くて、辛くて、何もかもが本当に辛くて、吐きそうになるくらい・・・・。

・・・・でも、ポジウムに上がった瞬間、辛さの素が全て溶けてなくなり、レース中にすり減らしてしまったと思っていたものが実はきちんと残っていて、残っているどころか輝きを増していることに気がついてしまった。様々な経験とアフリカでの一期一会が私を強くしていたのだ。そう確信した時、心の中のすべての思いが宝石のようにキラキラと輝きだした。




大会正式名 : パリ~グラナダ~ダカール 1998
大会期間   : 1998年1月1日~1月18日 
総走行距離 : 10,245km
参加台数   : 4輪 115台 / 2輪 173台 / カミヨン 61台
完走台数   : 4輪  41台 / 2輪  55台 / カミヨン  8台
完走率    : 26%

順位 : 総合41位  レディース2位  T1部門(市販車無改造クラス)16位




 

 2010年、友川は2度目の抗がん剤治療にも打ち勝った。



昨年、友川より後に癌が見つかったお母様が、闘病空しく天国へと旅立った。自身も癌と戦わなければならないのに、どれほど辛く悲しかったことだろう。だが、その悲しみも乗り越えて、今も太陽のように笑い、命あることに感謝し、一日一日を大切に生きている。それができるのは、友川が癌と折り合いをつけながら生きているからだ。



自分との折り合いをつける・・・・。私たちがアフリカの砂漠から学んだことの一つだ。



 私は友川が大好きだ。頑固だし、腹立つことも山ほどあったが、友川と出会わなければ、自分との折り合いの付け方さえまともに学ぶことができなかったかもしれない。ぶつかったからこそお互いの角が削げ落ち、良い感じに丸くなってきたんだと思う。・・・パリダカが私の研磨剤だったのではなく、友川がそうだったのかもと思う。何はともあれ、頑張ってよかった。




 

2010年1月29日金曜日

1月18日 レグ17 

サンルイ~ダカール 255km(SS20km)

 友川は、とても静かに235kmのリエゾンを走っている。

 開けた窓から入り込んでくる風が様々な思いを運んでくる。
今になって、ダカールへの道のりを楽しむことが許されたようだ。

 友川は、去年もそうしたように、ダカールの海に着いてからもマシーンを降りようとはしなかった。
友川にしか感じられない何かを、一人で堪能したかったのだろう。
友川を残し、海岸に設置されたCP(コントロールポイント)まで、ゆっくりと歩いた。

・・・・手に握りしめたタイムカード。潮風。ブルーグレイの海。満足そうに輝く競技者達の笑顔・・・。
それらがつなぎ合わさった時、私は、やっぱり、泣いていいのか、笑っていいのか・・・・わからなくなっていた。

 スタート前から色々なことが起こりすぎて、「必ず完走するんだと」いう目標がいつしか強迫観念に変わっていたように思う。不安と焦燥に取りつかれていた。体中に巻きついた針金のようなそれらのものが、少しずつ、少しずつ剥がれおちていく・・・・。やっぱり、泣くべきだ。これだけの辛さから解放されるんだから。よし、次のチャンスは逃さずに、思い切り泣いてやろう・・・。



 きっと、友川も色々なことを思い出し、様々な思いをかみしめていたのだろう。マシーンにもどると、

完走を目前にしているというのにイラついている・・・・。今、友川自身が感じていることは誰にも止められない。とことん感じたらいい・・・・。


 

 いよいよ、最後のSSを走る時が来た。


海岸線を数百メートル走る・・・。18日間の過酷なレースを走り切ったマシーンに与えられる最高のステージ。それが栄光のビーチランだ。左に曲がり、木々の間を走る。重たい砂だ。そこを抜けると最後の砂丘・・・。ギャラリー達が手を振る・・・。砂丘を後にすると、ラックローズというピンク色に輝く湖の周りを走る。後はポジウムに向けて驀進!


 友川はこの最後のステージで最高のレースをした。最後の砂丘越えも、ラックローズの周りも、この18日間のどのレグよりも完璧で美しいドライビングだった。本気の走りだ。おかげで、感動のゴールはすごくあっさりと、あっけなく終わってしまった。



 走り終えた友川に、やっと満足そうな笑顔が戻ってきた。


友川に握手を求め、心の底から「おめでとう!」を送る。なのに、私を睨みつける。


「何がおめでとう、だよ。駄目だよ、こんなんじゃ! レディースの1位になれなかった。」


・・・・まったく、友川らしいゴールに、友川らしい言葉だった。

2010年1月26日火曜日

1月17日 レグ16 Saint‐Louis

ブーティィミ~サンルイ 422km(SS313km)

 朝食の固いパンをかじりながら、ルートブックに記されている「Saint-Louis(サンルイ)」の文字をしばらくの間見つめていた。

・・・・無事にサンルイに着くことができたら、明日はいよいよゴールだ。・・・・去年もそうだったが、「あぁ、そうだった」くらいにしか感じない。レースは最後まで走ってみないと何が起きるかわからない。スポーツ界でよく例えられる「・・・・には魔物が潜んでいる」っていうやつだ。それは、もう十分に勉強済みだ。だから、冷めた自分でいていい。

溜息をひとつ・・・。それから乾燥した空気を思い切り吸い込んだ。大地の気・・・・。砂の味だ。

 私はそのままマシーンに乗り込み、ナビシートに深く身を沈め、目をつぶって今日のコースをイメージしていた。友川も無言でマシーンに乗り込んできた。

「マキコ、今日はフルアタックで行けよ!」
エンジンをかけるとメカニック達が近寄ってきて、友川に声援を送った。友川も笑顔で応える。
マシーンが三菱のテント村からゆっくりと離れていく・・・・。

 朝のこの雰囲気が好きだった。エンジン音や発電機の音、工具がぶつかり合う金属音、メカニック達の話し声・・・・。乾いた空気を伝って体中に響いていたそれらの音が少しずつ遠ざかり、リエゾンへと向かうほんの少しの時間がなんとも言えずに心地よかった・・・・。なのに、なのにだ!
何かの戒めのように、マシーンがまた吠えた!

ブホーーーーーッ!!!

「まただ!回転数が下がらない! メカニックを呼んできて!」
友川が信じられないと言ったふうに首を大きく振りながら叫んだ。

マシーンを飛び降りると、呼びに行く間もなくメカニック達が走り寄ってきた。

「3日前にもこうなったの。何が原因かわかる?」

ボンネットを開けて、皆が中をのぞきこむ。

原因がはっきりしないまま時間が過ぎ、出発の時間が迫ってきた・・・。

「原因らしい原因が見つからない。きっと、コンピューターの誤作動だ。走りには問題ないだろう。」
・・・すっきりする回答ではなかった。

今年のパリダカには本当に焦らされる。どうか、もうこれ以上、色々なことが起きませんように・・・・。



 サンルイまでは背の低い木々の間をすり抜けるように走らされる。ツイスティーなピストだが、ほとんど1本道のようなもので、ナビゲーションは楽だった。友川も安定した走りをしている。この調子なら、きっと大丈夫って思っていた・・・。だから、後ろからカミヨンに追い付かれ、道を譲るために左にハンドルを切っていた友川が、どんどんコースを外れて行くのも何か理由があるのかと思っていた。・・・・友川の叫ぶような声を聞いても、すぐには何を言っているのかわからなかった。

「ハンドルが効かない!」
「・・・・?」

「どうしよう!ハンドルが外れたみたい!誰かに止まってもらって!!!」

友川がコースから左に5メートルくらい外れて、ようやくブッシュの中にマシーンを止めた。

何が何だかわからないまま、ヘルメットを脱ぎ捨てピスト横まで走る。

・・・ドキドキしていた。
サンルイを目の前にしてマシーントラブル?

悪夢だ!そんなの絶対にイヤ! 

多分、また2駆になったんだ・・・。だから、マシーンが滑ったんだ。でも、今日は起伏があるコースでもないし、きっとなんとかなる。2駆で象の岩を抜けたんだから・・・・。自分で自分にそう言い聞かせていた。
 
 ピストに立っている私の姿を見てTOYOTAに乗っているフランス人チームが止まってくれた。
「どうした?」
「よくわからない・・・。けど、アシスタンスカミヨンを止めないと。」
 
 まるでクイックアシスタンスのような彼らの出現に感謝しながらも、誰かに助けてもらわなければ何もできないでいる自分たちが情けなくて、心が痛かった。焦燥が痛みに変わった・・・。まこねぇ、ごめん。レース中の彼らに「助けてください」とは言えないよ。

「俺達が見てきてやるから、お前はここでカミヨンを待て。」
「でも、時間が・・・・。」

「数分じゃ順位は変わらない。」
素直に感謝・・・するしかなかった。
複雑な心境ってやつだ。

5分もしないうちに友川がゆっくりマシーンを走らせてきた。
・・・・彼らも私にOKサインを出し、早く乗れと合図した。

「ハンドルは大丈夫だと伝えろ!」

よかった・・・。もっとシビアなトラブルだったら心が折れたかも・・・。
そう思いながらマシーンに乗り込むと、・・・・友川の顔色が優れない。

「あの人たち、ハンドルは大丈夫だって・・・・。」

「こうやって、ギュッと押しこんでおかないとステアリングが効かない。」
「え?」
「とにかく、ゆっくり走るからっ。」

・・・もう話かけるな、ということだろう。
もの凄くピリピリしている。

 それからの友川は時速40kmくらいでトロトロと走り続けた。レースではなくなっていた。・・・完走さえすればいいという走り。だけど、切ないくらいピリピリとしていて、何も言えなかった。じっと耐えながら前を見て、ナビの指示をする以外に言葉を発することはなかった。

 これだけゆっくり走ってもカミヨンが私たちに追いつくことはなかった。今日はパリダカには珍しく、SSが2回に分けてある。このまま2本目のSSに入るのは、いくら強靭な友川の精神力でも不可能と判断・・・。オフィシャルに、このままサンルイに向かうと告げた。昨日の時点で100時間のペナルティーが加算されているんだから、更に数時間が加算されてもどうってことない。

・・・・リタイヤを避けるために必要な選択だった。

 だが、押さえても、押さえても、心の中に湧いて出てくる苦い思い・・・・。不協和音の本も、結局はそこにあったのだ。

ちきしょーっ!私は無力だ!無力すぎる!

もうこれ以上、巻かれちゃだめだ!



心の苦みをかみしめながら舗装路にでた。
3分ほどで三菱のカミオンと合流できた。
 
 友川は自分がここまでどうやって走って来たか、身振り手振りでメカニック達に伝えようとしていた。かなりナーバスな友川にメカニック達は驚き、俺たちがここにいるんだから落ち着いてちゃんと話せと促した。友川は、普段は知っている単語とボディーランゲージで完璧にコミュニケーションをとることができる(私はそれを友川語とよんでいる)が、今回だけはメカニック達もお手上げらしい。一様に助けを求めるように私を見た。

「あ・・・、はい。よくわからないんですけど、ステアリングが利かなかったらしいんです。」
「パワステか?」
「いや、外れたかもって言ってました。」

 メカニック達が、囲むようにマシーンを覗きこむ。すぐに原因が見つからない。メカニック達の頭の中に?マークが浮かんでいるのが見えたような気がした。ここで時間をつぶすわけにもいかないので、結局、私たちは3台のカミヨンの間に挟まれるようにして残りの道のりを走った。


 夕方、Saint-Louisに到着・・・・。
オレンジ色の夕日と太鼓の音が似合う町だ。

 すぐにメカニック達が整備を行う・・・・。デフがかなり損傷しているそうだ。
メカニック達に、「後は任せろ」と追い払われた。・・・・だよね。ここにいても仕方がない。気分転換にビールが飲みたくなったが、今朝から左目に違和感があったのを思い出して鏡で見てみると、モノモライが出現している・・・・。明日がゴールだっていうのに・・・・。こんな目で写真に写りたくない!!
なんで次から次に色々なことが起きるんだ!も~~~っ!

ビールはお預け。まずはメディカルテントを探さなきゃ・・・。

 ビバーク地の端っこに設置されていたメディカルテントをようやく探し当て、中に入ると・・・・。

「お~~っ! PIAA GIRL!」

なんだかすごい歓迎ぶりだった。

えと、どちらさまでしたっけ?

どの人も小奇麗で、男前ばかり・・・・。
どこで知り合いましたっけ?

「ドライバーは大丈夫か?」
顎を指さしながら男前①が聞いてきた・・・。
「あ~~、リーダーだ! あの時はお世話になりました!大丈夫!もう腫れもひきました!」
それはよかったと、男前①。
 それによく見たら、コンボイを組まされたメディカル班のドクター達だ。あぁ、私、なんでシャワーを浴びてから来なかったんだろう・・・・。今更、遅いけど・・・。
「順位は?」
とか、
「レースを楽しんだか?」
などの質問が口火となり、
ちょっと聞いてくれる?あれからも色々あってね・・・・と、2駆になったこと、1100kmも迂回したこと、道が無くなって、気がついたときには滑走路の真ん中にいたことなどを話をした。男前たちは口々に「クレイジーだ」とか、「すごい根性だ」と、笑いながら聞いてくれた。ドクターが、からかうように言う。
「辛くて、ママーって泣いた時、目をたくさんこすったんだろう? だから、こんなものができたんだ。」
だって。どうとでも言ってくれ!それでも私は彼らとの会話を楽しんでいた。

「明日までに絶対に治してね。」
と、甘えたことを言い、男前②のドクターに薬を塗ってもらった。
メディカルテントを後にした時には、心の中の苦みが消え去り、すっきりした心になっていた。

 

2010年1月24日日曜日

1月16日 レグ15 不協和音・・・

アタール~ブーティリミ 493Km(SS296km)

2時間ほど熟睡。
・・・疲れが倍増している感じ。

なんとかテントから這い出すと、私たちのマシーンの周りにはメカニック達が数人いて、まだ作業を続けているのが見えた。

 スタートまで1時間・・・・。

スタート時間は昨日伝えてある。きっと、何とかしてくれるだろう・・・。彼らには声をかけないままルートブックのチェックや準備に取り掛かった。

 スタート20分前・・・。

まだ寝ていた友川を起こし、コーヒーを手渡した。すぐに友川をテントから追い出し、寝袋を丸め、テントをたたむ。

「で、マシーンは?」

「まだ。でもスタートまで・・・えっと、12分もある。大丈夫だよ。」

友川もマシーンの方に目を向けたが、それ以上何もいわなかった。

 リエゾンスタートまで5分。

ようやくメカニック達の手が止まった。
「終わったぞ!早く、乗れ!」

「2駆になった原因は?」

電機系がどうのとか、誤作動とかいう単語が聞こえてきた。

「完璧に直しておいたから、思い切り走っていいぞ!」
・・・・よくわからないけど、直ったってことね。
 メカニックの様々な言葉に送られ、800m先のリエゾンスタート地点にぎりぎり制限時間内にたどり着き、すぐにスタートした・・・。すべてが予め設定されていたようなタイミングだった。

 ようやくレースにもどれた嬉しさがフツフツとわいてきた。
が、距離を重ねるにつれ、いつしか私は「無」になることに努め、自分の感情を受け付けないようにしていた。・・・・友川と私のリズムが全く合わなくなっていたからだ。

・・・・人と人がうまくかかわっていくにはどんな関係においても「和」が大切だ。

心地よい和が流れているときには何をしても楽しめる。だが、ちょっとのずれや怠慢が不協和音を奏で始めると、人の心の中に不安や焦燥、誤解や怒りなどが増幅し始める。世の中のいざこざはそうやって生まれているのだ。無になろうと努力すればするほど、マシーンの中を居心地の悪いものにしていった。

 私はいつになく焦っていたのかもしれない。今日のコースは難易度の高いナビゲーションステージで、夜間走行はどうしても避けたかった。とにかく、友川にはあと5ミリでも良いから深くアクセルを踏んでほしかったのだ。・・・・これが友川にとって限界のスピードだとはどうしても思えなかったからだ。

・・・・だけど、本当に限界なのかもしれない。

リズムの不和に悩まされ、自分の能力を出し切れずにいるイライラを感じていても、私はナビとして友川の耳触りにならないようにリズムを合わせなければならない。・・・・肝心なことは自分を消耗しないことだ。

 砂嵐の中を進み、鋭い岩がゴロゴロしている迷路のようなルートを乗り越え、もう何百年も前からそう変わっていなであろう景色の中を走った。そして風が新しい砂丘を創りだしている砂の上を友川のペースで走り抜け、日が落ちた直後にSSを抜けた。

 毎日何かを考え、自分なりに様々なことをかみしめ、それなりの答えを出してきたつもりだったが、たいして成長していない自分自身にボディーブローを食らわされた感じがしていた。

 だが、残すとこと2日だ。

 今日のステージは、やはりミスコースや何らかのトラブルで私たちより遅く帰ってきたチームが多かったようで35位だった。友川と一緒に張り出されたリザルトを見ていると、ゴロワ―スでメカニックをしているディディが話しかけてきた。

「順位は?」
「総合で41位。」
「最下位か。」
「でも、私たち、チャンピオンだよ!」
「え???」

「ここ見て!ペナルティーの加算時間が100時間超えてる!ペナルティ・チャンピオン!」
「イエーイ!」
3人で大爆笑した。

笑い声が再び「和」を運んできた。






 

2010年1月20日水曜日

1月15日 レグ14 迂回で1100km


ティジクジャ~アタール SS400km だけど、私たちは1100km


 驚いたことに、ビバーク地には三菱のカミオンが3台とも残っていた!

今年、三菱から初参戦したリュック・アルファンド氏(元滑降スキーのワールドカップチャンピオンで、ヨーロッパでは大スター。日本で言うところのイチローみたいな超人気者)が、整備を受けているからだった。リュック氏には悪いけれど、私たち、なんて幸運なんだろう! 

 友川がクラクションを鳴らすと、私たちに気がついたメカニック達が歓声をあげた!

「Ca va(大丈夫)?」
「マシーンの調子は?」
メカニック達は次々と私たちに質問を浴びせた。

「2駆になったの。」
メカニックの顔が曇る。
「走っている最中に回転数が下がらなくなって、すごい音がしたんだ。それって2駆になったことに関係ある?」
「見てみないとわからない。リュックのマシーンがなんとかなったら見てみるから、とにかく少しでも休め。」
プロトのメカニックを担当している白髪のメカニックが、曇った顔のままそう言った。

 リュック氏は慰めるように私の頭を左手で抱え込む。
「俺のマシーンも相当ひどいが、お前たちも大変だったんだな。」
いつものように爽やかに笑ってはいるが、疲労の色が隠しきれていない。
名スキーヤーだけあってスピードには長けているらしく、常に上位で戦い続けてきたリュック氏だったが、昨日のステージでかなりのダメージを受けてしまったようだ。オイルパンまでやられている・・・。

 私はしばらくの間リュック氏に抱えられたままでいることにした。
「まだ走れそう?」
という私の質問に、リュック氏は、「え?」という顔をする。
「お前たち、タイムアウトじゃないのか?」

私は手に持っていたルートブックを見せた。
「よくわからないけど、この時間でもタイムアウトにならなかったの。諦めなくてよかったよ♪」
「・・・・カミオンにけん引されてここに着いたが、俺たちはどうなる?リタイヤか?」
カミオンバレー(コース上でリタイヤした競技者やバイクなどを引き上げるレース最後尾を走るトラック)に牽引されたんじゃなかったら、リタイヤにはならないよ。・・・・まだ走るつもりで整備してるんじゃなかったの?」
「いや、マシーンをここに残していくわけにはいかないと思っていたんだ・・・・。」

リュック氏と目が合う・・・。

「・・・私たち、時間的にもここでマシーンを修理することはできないだろうし、2駆のままでSSに入るにはリスクが大きすぎるので、ペナルティー覚悟で迂回路を走って次のビバークまで行くつもり。リタイヤしたくないから・・・。だから、リュックさんも諦めないで! 直せるところまで直して、私たちと一緒に迂回するか、SSに入るか、どちらかの方法でアタールを目指すべきよ!」

私の話を聞いていたリュック氏が頷く。
「Yeah....Thanks.」

リュック氏の視線が鋭く変わった。きっとSS入りを決めたのだろう。
 
 ・・・・確かに、リュック氏に迂回は似合わない。たとえ可能性が10%に満たないとしても、その「0」ではない可能性に賭けて果敢に戦おうとしている。凡人ではない潔さと戦闘心に満ちた目だ・・・・。

男は、こうでなくちゃ!

 リュック氏の心地よい羽交い締めからすり抜け、 次にしなければならないことは決まっていた。ここからの迂回路を確認しなければ・・・・。友川と一緒に地図を広げる・・・・。

 SS を走れば北西に400kmで今日のビバークに着くのに、一般道を走るとなると西に600km、それから折り返すように東北東に500km・・・・計1100kmにもなる。しかも一般道といっても初めの250kmほどは完璧なオフロードだ・・・。砂漠の中を走らされる。だけど、他に道はない。時間もない。・・・・考えられることはただ一つだ。アクシデントを回避するには迂回路を走るであろうアシスタンスカミオンと途中まででも一緒に走らせてもらうほかはない。


「お前、本気か?」
「はい。リタイヤしたくないんです。」
白髪メカニックは、やれやれと首をふる。
「だが、俺たちと同行できるのはヌアークショット手前のブーティリミまでだ。そこからアタールまではまだ700kmある。それでも良いのか?」

・・・・ヌアークショットからなら舗装路のはずだ。
「とにかくお願いします。」
「・・・・お前らに何を言っても無駄だな。T5 用の地図を見ておけ。」

よっしゃ!交渉成立!



 ティジクジャには砂嵐が吹き荒れていた。

砂だけでなく、小石やゴミの類がもの凄い勢いで体中に当ってくる。地元の女の子たちは布を頭から巻き付けて砂嵐の中でキャッキャと笑っている。
なるほどね・・・。巻き付けただけのようだが、民族衣装は機能的だ。

 私は凶器と化した風と彼女たちの興味深々な視線を避けるためにカミオンの中に避難した。疲れた・・・・。今夜も夜通し走り続けないとならない・・・。5分でも良いから目をつぶらなければ・・・(意識消える)
・・・・・どのくらい目を閉じていたのかわからないけど、リュック氏のマシーンの周りが急に騒がしくなったので目を覚まさなければならなかった。

「アレ!(行け!)アレ!アレ!」

メカニック達が手拍子を叩きながらリュック氏を送り出そうとしている。

リュック氏は雄たけびのような声を上げ、こぶしを天に向かって突き上げた。そして、メカニック達と次々とハグを交わしマシーンに飛び乗っていく。

・・・・戦いに行く戦士のようだ。

私はカミヨンの荷台から身を乗り出し、
「Bon courage!(がんばって!)」
と叫んだ。リュック氏は私の視線を探し出し軽く手をふった。白い歯が二カッと光る。かっこいいったらありゃしない。

 
 それから10分もしないうちに、私たちはカミオンを先導するようにビバークを後にした。

 当然といえば当然なのだが、この一般道・・・・SSとそう変わらなかった。 ラクダ用の道なんだから仕方がないが・・・・。
 地元の人だろうか?「ごつい」と表現するにぴったりのスタックボードを4枚も積んで走っている4WDに追い付いた。 結構スピードも出ていて、ハンドルさばきもお見事・・・。毎日SSを楽しんでいるということだろう。
 
 しばらく走ると、小屋みたいな小さな建物が見えてきた。前を行く4WDがその小屋の前で止まる。
通り過ぎようとスピードを緩めると、車の中から北アフリカ系の顔をしたおじさんが私たちを呼びとめる。
「ちょっと、降りてお茶でもしないか? ヌアークショットはまだまだ先だぞ。」
なに?ここってサービスエリアなの?

「せっかくですが、私たち、アタールまで行かなければならないので時間がないんです。」
「・・・・アタール?!」
男の人はかなり驚いたようだ。
「それは大変だ!呼び止めて悪かった。良い旅を!」

・・・・驚いて当然。もうお昼だっていうのに、今からまだ1000km近く走るなんて、普通じゃない。ハイウエイがあるわけでなし・・・・いったい、何時間かかるかもわからない。もしかして可能性が10%に満たないのは私たちの方かもしれない。

 それから先は1台の車も、人の影さえも見なかった。
真っ白な白砂漠の中の1本道をひたすら走る。


だんだんと砂が浅くなり、走りやすくなってきている。町が近づいてきたのだろう。


ん?なんか変。あれ?轍が消えた・・・・。あれ?反射板みたいなのが見える。
・・・・え?
もしかしたら、ここって・・・・!

「・・・・まこねぇ、ここ、滑走路だ! 飛行機が着陸してきたら大変だ!」
「え~~? じゃ、どうするのよ?あんた、地図みたんでしょ?どっちに行けばいいの?」

「とりあえず誘導灯から離れて止まろう。すぐにカミヨンも来るはずだし。」

「迷ったんじゃないの?もし私たちが道を迷っているんだったら、カミヨン、くるわけないじゃん!!」
友川のイライラが一気に最高値に達したようだ。
 
 確かに嵐で砂に埋もれてしまい、道を見落とした可能性もなくはない。そうであるなら、GPSの軌跡をもとにたどり、引き返しながら道を探すか、緯度経度から現在地を見つけ、アタールに向かう道がどの方向にあるのかを探し出すしかない・・・。窓の外はオレンジ色に近い砂が風に巻き上げられ、10メートル先も見えないほど視界が悪い。どっちにしろ、しびれる状況だ。
「ごめん、ごめん。今、位置を確認するから少し時間をちょうだい。」
そう言いながら、頼むから、カミヨン、追い付いてきて・・・・と、心の中で祈る。

・・・・えっと、今がティジクジャから260kmくらいだから・・・・。この辺りで・・・・。空港なんて地図に載っていないけど・・・。 緯度経度が・・・・で。・・・うん、ここだ。だとすると、ブーティリミへの道は西南西の方向だから・・・・と、顔を上げると・・・・砂嵐の向こうからカミヨンがこちらに向かって走ってくるのが見えた。

「来た~~~っ!!!」

私たちが止まっているのを見つけたカミオンがクラクションを鳴らす。 なぜか頭の中で「ガンダム」のテーマソングが流れた。
「燃え上がれ!燃え上がれ!燃え上がれ!ガンダム~~ウ」ってやつ。
だって、カミヨンに乗っているメカニック達は かっこいい。モビルスーツで武装したみたいにかっこいい。

 それからは、友川にはおとなしくカミオンの後をついて走ってもらった。
スピードより、精神的に安心できる方を選んだってわけ・・・・。 それに、コマ図無しでこの空港から脱出し、一般道に出るには相当に時間がかかったかもしれない。

 そんなこんなであっという間に日が落ちて、明後日のビバーク地になるブーティリミに着いたのが夜の8時前だった。3台のカミヨンが止まり、メカニック9人が次々と降りてきた。
「何度も言うが、ここからアタールまで、まだ700kmある。本当に行くのか?着くのは夜中の3時過ぎになるぞ。」
9人全員の真剣な視線に囲まれていた。9人が円陣を組み、その真ん中に私たちがいる。
「勿論です!」
「行かせてください!」
彼らの真剣さに負けないように私たちも真剣に答えた。
「だったら、すぐに走れ!」
「ヌアークショットまではここからまっすぐだ。迷うことはないからどんどん走れ!」
「ヌアークショットに着いたら誰でもいからアタールまでの道を聞くんだぞ!」
「修理する時間を考えたら3時半を目指すんだ!途中であきらめるなよ!」

・・・・同じ意識を持つ仲間に囲まれるのは心地よい。
戦いに行く前の戦士の気持ちに近いのだと思う。闘争心に火がついた感じ。心の底から叫びたい衝動に駆られる・・・。

皆は励ましの言葉と、暖かいハグで私たちを送り出してくれた。

・・・・それから先は睡魔との戦いだった。

 

 1100kmという距離を走り、アタールに着いたのは朝方の4時半。
まだ起きていたチーフメカニックのアランさんが私たちの姿を見て驚く。今までのことをかいつまんで伝えると、感心したように頷いてくれた。
「よくやった。後は俺たちに任せて早く寝ろ。明日も辛いぞ。」
そう言って、いつものように私たちを追い払った。

テントを張りながら辺りを見回す・・・・。
ビバーク地は閑散としていた。このSSで、かなりの台数がリタイヤしたに違いない。

リュック氏のマシーンも見当たらなかった・・・・。

 パリダカでは、FIAに従って様々なレギュレーションが定められている。
その日のコース上に設定されているCP(コントロールポイント)通過時に通過証明のスタンプを押してもらう。CPを通過しなければペナルティーの対象になり、1か所につき何時間か加算されるだけでなく、合計4か所のCPを通らなかったらリタイヤになる、という規則もある。

 私たちは今日だけで3か所通過しなかったので、かなりのペナルティーを受けたはずだが、レースには残れる。・・・・リタイヤを避けるには、迂回も必要な選択だ。 ・・・・私たちは間違っていない。

 

2010年1月17日日曜日

1月14日 まだ×まだ×まだ レグ13 Merci!

  

 たったの60kmを走るのに、一体何時間かかったのだろう?
・・・・ダメだ。過ぎた時間を考えるとおかしくなる。それよりも今だ。

現に今も暗闇にかき消されて、自分たちのいる正確な位置がわからないでいる。

ルートブックに出てくる岩山なんか、この闇の中では私の目には全く見えない。

 今日のステージは景色が見えなければポイントを見つけることは難しいようだ・・・。自分たちがオンルートにいると確認できる唯一の方法は轍が新しいということだけ。ミスコースを避けるため轍の上を走り続けるしかない。その上の2駆。スタックを避けるため、砂丘にアタックする前にはマシーンから飛び降り、じっくりとベストなルートを探した。それでもスタックしてしまったら、

「あきらめないぞー!!」
と、叫びながら砂を掘った。

 ルートブックの561km地点で、砂丘と砂丘の間を左に折れるように指示されていたが、一向にそのポイントが見当たらない。既に数キロオーバーしている。スタック時の空転を考えても行き過ぎではないだろうか?しかし、ヘッドライトが映し出す砂漠には無数の轍が残されている。一体どうなっているのだろう?
明るければ簡単に見つかるルートのはずなのに・・・。もどかしい・・・・。

 大きな砂丘が現れた。
「うわっ、こんなの2駆じゃ無理だよ」
そいうって友川がマシーンを止めた。バックしたところで助走を十分にとれるようなフラットな場所でもない。
「行けそうなところ、探してくる」

 ナビ席を降りると足がふらついているのがわかった。
ヘッドライトと懐中電灯の明かりを頼りに周りを見渡す。1台の轍が左方向に向かって走っているのを見つけた。しばらくそれをトレースして歩いたが、エネルギーがすでにレッドゾーン。睡眠不足とこの長い一日の戦いで、体中が「もう無理」と言っていた・・・・。

だが、力尽きるわけにはいかない。ポケットにねじ込んでおいたチュッパチャップスのプリン味で気持ちばかりのエネルギーを補給。

砂漠でプリン・・・。悪くない。

 その轍はかなり良いラインだったが、何かアクシデントが起こる可能性は否定できないため、メインの轍から外れることが怖かった。残念だが、この轍は諦めることにする。

うっすら明るくなりかけている。

 急いでマシーンにもどると、友川も行く手を阻む砂丘にお手上げのようだった。
カバンの底からビタミン剤を見つけ出し、口の中に放り込む・・・・。

「10分ほどで明るくなるはずだから、それまで休憩させて。エネルギー、切れた」
友川は、わかったと頷き、私は遠慮なく目をつぶった。
闇に吸いこまれるような感じだった。

「見えたよ!あっちの方角だ。多分、行ける!」
すぐに友川の声で闇の中から引き戻された。
さっきまで見えなかった砂丘の全体像が、紫色の朝もやに包まれて、はっきりと浮かび上がっていた。
「歩いていたら、急に明るくなってきてさ。そしたら視界が開けて、道が見えたんだ。行こう!」
友川は子供みたいにはしゃいでいた。

 ほんの一瞬目をつぶっただけだったが、ビタミン剤が効いたのか、瞑想から覚めたかのようにすっきりしている。砂漠の神はまだ私たちを見放していないようだ。感謝。

タイムアウトがかかっている・・・・。急がねば!

・・・・残り180km。

「こういうの、ことわざでなんていうんだっけ?」
「え?」
「無理を通せば道理が通る?」
「違うよ、それは道理が引っ込む・・・・。意味違うし。『なせば、なる』じゃない?」
「いい!今日からは『無理を通せば道理も通る』にする!」
友川は、それからずっとブツブツとその「友川語録」を繰り返していた。
・・・彼女の素直な気持ちだ。2駆でここまで頑張ったんだから絶対に諦められないしタイムオーバーなんてありえない!という気持ちをストレートに表現しているのだ。

 砂に散々苦しめられた後は瓦礫のルートで、それから後も思ったようにアクセルが踏めず、容赦なく時間だけが過ぎていった。それでも確実にゴールには近づいていった。

 戦って、戦って、嫌になるほど戦って、やっとゴールできたのが午前10時過ぎ・・・・。

コントロールでタイムカードを渡すと、今日のルートブックを渡された!
タイムアウトではないということだ!
「やった!!」
「メルシー!!」

 この時の気持ちを、どう言葉で表せばいいだろう?なんだっていいや!とにかく嬉しい!それだけだ。

・・・・いかなる困難にもへこたれずにここまで来た。
そして、この喜びは与えれたものではなく、自分達の経験から生まれたものだ。

これこそが、冒険者の感じる喜びなのではないだろうか・・・・・。

順位は、45位。多分、いや、絶対にビリ。でも、いい。





 

1月14日 まだ×2 レグ13 ニャー君と小さな紳士

 
 それからも何度もスタックを重ね、ようやく507km地点に設置されていたCP4にたどり着いたのが夜中の2時10分。スタッフのおじさんはすっかり酔いが回っているようだ。そりゃそうだ。いつ来るかわからない競技者たちをこんな場所で1日中待ち続けなければならないのだ。酔った者勝ちだ。
「おお~っ、PIAAガールズ(私たちのこと)!! うまくやってるかい?」
(・・・・うまくやっていたらこんな時間になるはずないだろっ)
と、突っ込みたくなる気持ちを押さえる。
「私たち2駆になっちゃったんです。ここが最後のCPでしょ?ビバークまで迂回するルートはありますか?」
「ないよ!!」
・・・・おじさんのあまりにも明るく、しかも軽い受け答えで気が抜けた。
「だけど、1km先のこのポイントはすごくスムーズ(柔らかいってことだろうか?)だから、まっすぐに行かずに左に曲がりなさいよ」
と言って、私のルートブックに赤ペンで印をつけてくれた。

・・・・・残り250km。行くしかない。

 ところが、おじさんが記してくれたように友川を誘導したつもりだったのに、とんでもない砂のピストに出くわした。地面は堅そうに見えていたが降りて歩いてみると、どこもかしこもふかふかだった。しかも暗闇に目が慣れてくると、いくつか質素な家が見えた。村の中に迷い込んでいたのだ。来た道を引き返すしかない。こんなとこ、明るかったら決して迷い込まなかったに違いない。

もーっ!!! 

 私はそのまま歩き続け、友川の走りやすそうなラインを探した。そうこうしていると懐中電灯を持った男の子が近づいてきた。例によってお金をくれたらパリダカのルートを教えると言っているようだ。

・・・・もう、そういうの、やめてくれ。私は今もの凄く落ち込んでいるんだ。あんたにつき合っている暇はない。

 男の子を無視して行けそうなところまで来ると、自分たちがどの方向から来たのか全く分からなくなっていた。方向感覚が100%失われた感じだった。途方に暮れていると、さっきの男の子がまた現れた。この村に住んでいるんだから、間違いなくオンルートにもどる方角を知っているはずだ。
「T-シャツでもいい?」
むやみに時間をかけるよりは、ここは着古したTーシャツに活躍してもらうしかない。にこやかに交渉開始・・・・。しかし彼の答えは、
「ニャー」

 お金以外は交渉の余地なしってことだろう。この子の頑なな態度には腹が立ったが、私たちには時間がない。こうなったら小銭で交渉だ。
「これでどう?」
おっ、頷きましたね。

 ニャー君の後を歩き、走れそうなラインに足跡を付け、懐中電灯と体全部を使ってのジェスチャーで友川を誘導した。それを繰り返しながらニャー君の指さす方向に進んでいく。

「道を探しているの?」
ちゃんと聞き取れるフランス語だった。振り向くと、男の子がこちらに向かって歩いてくる。
「そうなの。うるさかったよね。ごめんね」
身長から考えてまだ10歳くらいだろうか?
「だったら、こっちだよ!」
「大丈夫よ。この子にガイドを頼んだから」
「お金、払ったの?」
「この子がちゃんと教えてくれたら払う」
その子は、叱るような口調でニャー君に何かを言った。ニャー君の方がどう見ても年上のはずだけど。
「僕についてきて。もう、すぐそこだから」

・・・本当にすぐだった。
「ここをこの方向に行けばパリダカのルートにでるよ」
私はお礼を言い約束の小銭をポケットから出して渡そうとすると、賢そうな子が私を制して、
「Non!お金なんかいらない」
と笑った。

心が震えた・・・・感動。

 私は彼の視線に合わせるために姿勢を低くして改めて彼の目を見た。
薄明かりの中でかろうじて見えるだけだけど、とても賢そうな目だった。
「この子とは約束したから。だけど、あなたはとても賢くて優しい。これからもたくさん勉強して立派な大人になってください。その優しい心を忘れないで!」
めちゃくちゃなフランス語だったけど、私の言いたかったことが通じたようで、彼も私の目を見ながらしっかりとした口調で答えた。
「わかった。たくさん勉強します」

 そのやり取りが友川にしたらもどかしかったのだろう。
「早くして!もう、これ渡すから!」
そう言って折り曲げた紙幣をニャー君に手渡した。
「小銭で良いよ」
「いいから!早く乗って!」

 せかされるまま、私はもう二度と会うことはない誇り高き小さな紳士に別れを告げ、マシーンに飛び乗った。 サイドミラーに彼らのシルエットがかすかに映っていた。



「・・・・小銭、あったのに」
「あ~~、あのお札?あれは、スタート前にMさんがくれたキャバクラの割引券」
「・・・・え~~~っ?!」
それは、Mさんがずいぶん前に九州地方に出張した時、歩いていた繁華街でもらったキャバクラの割引券で、話題作りにと持ち帰ったやつだった。一見アメリカドルに見えるけれど、リンカーン大統領の代わりにウッフンポーズの色っぽいお姉さんが印刷されている。お金くれくれ攻撃がひどい時にはこれを使うからとスタート前に譲ってもらったのを思い出した。

・・・・私は、2度ほど「え~~っ」を繰り返した。

不幸なニャー君・・・・・。君はそのお札をどうする?
・・・・考えれば考えるほどおかしくなってきて、笑いが止まらなかった。
ニャー君よ、その不幸から何かを学んでくれ!