2009年7月31日金曜日

1月3日 レグ3 気合じゃ・・・

グラナダ~アルメリア 236km(SS36km)


 一昨年度と同じ軍用地で行われたSSも、雨のため80kmから36kmに短縮された。この短いSSが終われば、待ちに待ったアフリカ大陸に渡れる!

体は疲れ切っているが、ようやくワクワク感が戻ってきた。

 泥に捕まらないように注意したくらいで、あっという間に走り切る。泥がタイヤ回りにつきすぎてアライメントがくるった感じがあったが、さほど問題はなかった。

 SSを抜けた私たちエントラントは、フェリーにのって大陸に渡るため、アルメリア港に集まった。ここから船に乗り込めば、明日の朝にはモロッコのナドールに着く。長い長いヨーロッパステージに、ようやくさよならできる!


 港で乗船待ちをしている間、いよいよ明日から本格的に使いこなさなければならないGPSにウエイポイントを入力した。疲れた体に鞭打って、ルートブックのチェックに取り掛かろうとしたが、集中力もほとんどなくなっていた。自分の意志だけではどうにもならないくらいに体中がギシギシと悲鳴をあげている。何が何でも今日中に体力を回復しないと・・・・!

栄養ドリンクとビタミンを大量に摂取した。もうひと頑張りしたかったが、1ページチェックするだけでも10分以上かかっていたので、作業続行をきっぱり諦めた・・・。あがいてもどうにもならない。

 私がこんなに疲れきっているというのに、友川は篠塚氏や増岡氏、そして数人の日本人ドライバーの面々と夕日をバックに会話を弾ませている。オレンジ色に染められた友川の表情には多少の疲労感が漂うだけで、明日からのアフリカステージには期待ができそうだ。

頑張れ、あたし! 今日の順位は96位。


2009年7月30日木曜日

1月2日 レグ2 長すぎるって!


ナルボンヌ~グラナダ 1,182km(SS35km)

 夢のような初日が終わり、眠れるようで眠れなかった寒い夜が明け、シャトー・ラスツールに向かった。葡萄畑に囲まれた石灰質の荒れ地で、タイトなコーナーの多い、なかなかタフな特設コースだった。ヨーロッパステージではマッドタイヤを使用していたので、タイヤのサイドを傷つけないように気を付けて走る。が、13km地点でパンクしてしまった。思うに、パンクしたくないしたくないと考えていると、どういうわけかパンクする確率が上がるような気がする。友川は15分はロスしたと言っていたが正確には9分ほどでタイヤ交換した。今後は一切パンクのことは考えまいと思いながら・・・・。

 SSを走りぬけ、そのまま1,126kmの移動区間にはいる。
・・・・表現のしようがないくらい長い一日の始まりだった。
ほとんど休憩をとることもなく走り10時間近く走り続けた夜の8時・・・私たちはまだバレンシア地方を走っていた。地図によると左手には地中海が広がっているようだ。給油がてら、サービスエリアの食堂で夕食と取る。2人ともほとんど無言。だが、私のオーダーした肉団子のトマトソース煮こみとオレンジジュースは感動的な美味しさだった!
「スペイン万歳!」と心の中でつぶやく。
こういうささやかな幸せが精神的なバランスを保つ要素なのだと改めて思った。
 
 夜中1時過ぎ。やっとアルハンブラ宮殿で有名なグラナダについた。
三菱のメカニックサービスを受け、全てが終わってベッドに潜り込めたのが夜中の3時をまわった時だった。ただ単に睡魔との闘いを強いられているようで、早くアフリカに渡りたい気持でいっぱいだった。この悶々としたものをすべて吐き出してしまいたい。
きっと誰もが同じ思いだと思う。
 今年初めてのSSは96位。いつもと変わらない位置についた。

 

2009年7月23日木曜日

1月1日  レグ1  エンジンがかからないっ!

ベルサイユ~ナルボンヌ 938Km(SS11km)

 一睡もできなかった。
興奮しているせいではない。腹が立って眠れなかった。こんなにも怒りを覚えたのは久しぶりだった。さっそく勃発した私と友川の意見の相違。ナビは私だ!私にも去年「完走」した経験があるんだ!
いつまでも馬鹿扱いされたら、そりゃ、誰でも怒るだろう。こんなんじゃ気持ちよく臨めないよ!と心が叫んでいた。
…原因はたった数枚の地図にあり。

 目を真っ赤に腫らしたまま、午前8時40分のスタートに間に合うようようにホテルを後にした。
歩いて数分のベルサイユ宮殿前の広場にパークフェルメがある。まだ朝も明けきっていないというのに、すでに多くの見物人でごった返している。人々をかき分けるようにマシーンに近づく。

私たちのパジェロは雨粒に飾られ、キラキラと輝いていた。
キレイ・・・・。
素直にそう思った瞬間、私のイライラは少しずつと溶けてなくなっていった。
・・・・開き直りに近いかもしれないけど。


 私の役目が何かをもう一度考え直さなきゃ。ドライバーを気持ちよく走らせるのもナビの仕事なんだと自分に喝を入れる。 この2~3日、私の思考は同じようなところを行ったり来たりしているのもよくわかっている。パリに着いてからずっとざわついたままだったが、こんなイガイガ、ゴタゴタは今までにも何百回と繰り返している。スタートしてしまえば全てなかったことのように走れるだろう。そこが私と友川のいいところだ。
 
 うん、よし!

 それに、イライラしてばかりいられない。スタートまでにコマ図からウエイポイントを拾い出し、GPSに入力しなければならなかった。入力作業はそう難しくもないが、眠いのと、ギャラリーのたくフラッシュで目がチカチカして少し手こずった。




 もうすぐ入力が終わるというとき、誰かがドアをノックした。
南アフリカ共和国から参戦しているナビだ。
「それが終わったら、俺のもチェックしてほしいんだ。ちゃんと動くか不安なんだ」
一瞬、身長が2m近くあるこんなに大きな男の人でも、緊張するんだ・・・・って、ちょっと不思議に思った。

「OK! 2分でいくわ!これでも舐めながら待ってて!」
そう言って、ポケットに忍ばせておいたキャンディーを彼の掌にのせた。
「Thank you! You are my star!」
彼は照れたように笑い、小走りで戻っていった。



「スター」だって・・・・。南アフリカではそう表現するんだ・・・。でも、そのセリフを受け取る方が恥ずかしいんですけど・・・・(^^;)



 人ごみに消えていく彼の大きな後ろ姿を目で追いながら、すでに、それぞれのドラマがスタートしていると気がついた。
 その間にも、色とりどりにカラーリングを施し、様々なスポンサーのステッカーを貼った競技車両が、次々とベルサイユ宮殿前をスタートしていく。

 4輪のトップをきったのは、去年の勝者、篠塚健次郎氏だ。 珍しく緊張しているように見えた。当然、2連覇というのが氏の目標なのだろう。早くも戦いモードに入っているのか、氏の周りには近寄りがたいオーラが漂っていた。

 私も話しかけるのはやめて、軽く手を振り、「がんばれ!」の合図を送った。篠塚氏は無表情に頷いただけだった。

篠塚氏がスタートして2時間。

 いよいよ、エンジンを温める時がきた。
ところが!友川が何度キーを回そうと、私たちのマシーンはエンジン始動を拒んだ。

「バッテリー?!」

「違う!セルは回ってる。」

「キルスイッチ(全ての電源をOFFにし、転倒時など、外からでもエンジンを切るスイッチ)は?」

「ちゃんとオンに入ってる・・・・」

友川の返事を聞き終わらないうちに、私は三菱のメカニックを探しにナビシートから飛び降りた。

走りながら時計を見ると、スタート30分前だった。
手のひらに汗がにじんでくるのがはっきりとわかった。

広場には人があふれかえっている。人波をかき分け、サポートカミヨンまで走った。

こんな時に限って英語の話せるメカニックが見つからない。誰でもいい。

片言のフランス語と身振り手振りでエンジンがかからないことをなんとか伝えた。


 ボンネットを開けて中を覗き込むメカニック。・・・・原因がはっきりしないまま時間だけが過ぎていく。

  あっという間に私たちの周りは、数人のメカニックと、それを見守る観衆達でゴチャゴチャになっていた。
刺すような寒さの中で私も友川も無言のままだった。
昨日、ある新聞記者から「運という言葉を信じるか?」と、問われた。なんて変な質問をするんだろうと思っていたが、メカニックの一挙一動を見守りながら、今またその質問が頭の中で繰り返されている。
10分過ぎてもエンジンはかからない。

これ以上、時計の針を目で追うのを拒否した。間に合わなかったら、という思いも打ち消した。

「お願い!かかって!」

友川が呟いた。

信じる。私は「運」を信じる。ここでスタートできないはずがない。
そう思ったのとほぼ同時に、私たちのマシーンは「ブオーン!」という轟音とともに目覚めた!

 周りから拍手が沸き起こった。
何が何だかわからないまま、今まで押し殺すように溜めていたグルグル巻きになった感情が二筋の涙になってこぼれおちた。もう、これで、これまでのギクシャクした感情は全て洗い流されたように思えた。

 メカニックにお礼を言い、原因を尋ねると、やはりキルスイッチの接触が悪かったのだという。

 時計を見るとスタート10分前を切っている。

「早く乗れ!」
メカニック達はマシーンを「アレ(行け)!アレ!」と言って叩きながら私たちを送り出す。
観衆の中に昨日の新聞記者を見つけた。彼と目が合った。
「やっぱり私、運、信じますよ!」

 そうして怒涛の一幕が上がった。無事にポジウムに上り、私たちは一度トロカデロ広場まで北上したあと、国道20号で今年1本目のSSが行われるラ・シャトルまで320キロほど南下した。

 その頃には今朝のことも、それまでのこともすっかり忘れていたし、最大の悩みは睡魔だけとなっていた。すっきりしない天候の中、スタート待ちしていると、68台以下は走行不可能なのでSSがキャンセルになったとオフィシャルから通達があった。連日降り続いた雨のため、コースが大荒れらしい。あのラルティーグでさえ泥に捕まったらしい。オフィシャルの誘導に従い、大観衆の中をすり抜けるように、今夜の目的地であるナルボンヌに向かうことになった。後で聞くところによると7万人ものパリダカファンがあの場所に集まっていたらしい。
ヨーロッパのモータースポーツ熱は想像以上のものだ。
 
 









2009年7月21日火曜日

12月31日 ベルサイユ議事堂にてブリーフィング







 











 このブリーフィングに限って、各チームから必ず一人は出席しないとならない決まりがある。だが、ベルサイユ議事堂には今年参戦するほとんどの競技者とその関係者が集まっているようだ。

 TSO代表のオリオール氏が壇上に上がると、「ウオーッ」という怒涛の歓声が上がった。彼が若かりし頃バイクで参戦し、両足を骨折したままゴールした映像は何度見ても凄い。まさにパリダカレジェンドそのものの人だ。 http://www.youtube.com/watch?v=K1gwcyEOqv8


 ここにいる誰もが、いよいよ明日から始まる戦いに向けて様々な思いを巡らせていることだろう。
今、自分がここにいる意味を再確認するために、この興奮に満ちた会場内のエネルギーを体中に取り込んだ。

 夜は三菱インターナショナルチームが主催するニューイヤーズパーティーに出席した。インターナショナルというのにふさわしく、そこにはブラジル、ポルトガル、南アフリカ、ベルギー、日本、ドイツ、そしてもちろんフランス各地から集まったエントラントとメカニックが集まった。鳩をメインにした料理は私の口には合わなかったけれど、ワインは最高に美味!メカニック達との会話もこ気味がよかった。女性の競技者が少ないので当然と言えば当然だが、皆がとても大事に扱ってくれる。スタート前に溜めてしまった疲れを癒す良い時間を過ごせたように思う。
 
 ムッシュー・イレ氏が率いるわがチームの面々は、故ティエリー・サビーヌが19年前に唱えた「冒険の扉」を明日の朝開ける。

それがどんなに過酷で想像を絶するものになるかとは知らずに・・・・。


http://www.youtube.com/watch?v=Xo-ubkmcwqA&NR=1

2009年7月20日月曜日

12月30日 車検+人検


 車検は自分たちで受けることにした。
三菱インターナショナルのメカニックを担うソノート社のあるポントワースから車検会場のあるベルサイユまでは1時間半くらい。友川の腕慣らしにはちょうど良い。
 フランスに入った時から降り続いていた雨がますます激しくなり、ベルサイユ周辺は嵐に見舞われていた。風でなぎ倒された木々が道路を封鎖し、与えられたマップ通りに車検会場まで進むことができなかった。準備不足だと言われれば確かにそれまでだが、他のマップを持っていなかったし、何よりも簡単に見つかると思っていた。だが、道を聞くにも、こんな嵐の中を歩いている人もいない。
 当然、友川のイライラも増し、車内には嫌な雰囲気が漂う・・・。失敗した・・・・。
私たち同様、道に迷った他のチームと、あっちだ、こっちだ、と探しながら、どうにか会場に辿り着いた。腕時計を見ると、指定時間の数十分前。・・・・冷や汗ものだ。

 時差ぼけと、そんなハプニングのおかげで、車検中は何をするにも心がザワザワと落ち着かなかった。
 車検はFIAのレギュレーションに従い、マシーンのあらゆるところを検査される。何もかもがのんびり進められていて、私たちは待ち時間を入れて3時間近くかかった。
 無事に車検をパスした後は、人検といって、レースに参加する資格や必要書類が全てあるかをチェックされる。会場内に設置された何か所ものブースを回り、スタンプラリー形式でスタンプとサインをもらい、全ての欄を埋めないとならない。ここでも何時間も立ちっぱなしになる。その上、今年から全競技車両に同じ種類のGPSが取り付けられることになったため、全ナビゲーターが集められ、30分ほどの講習会が開かれた。
 気分は最悪だった。スタート前なのに、もう疲れ切っていた。実物のGPSを使って入力方法などを教えてもらう・・・・。手元で操作しているはずなのに、入力時のピッ、ピッ、という電子音も遠くから聞こえてくる。・・・・まったく集中できない。
「二日酔いの頭にはtoo muchだ。・・・・・アケミ、おまえもか?」
今年も上位入賞の期待の高い、三菱ラリーアートの増岡浩氏のナビであるアンディーが横に来て囁いてくれたおかげで、ふっと気が緩み、なんとか自分を現実へと引き戻す。改めて辺りを見回すと、外国人選手だけが残っているようだった。そうか、フランス人ナビ達はマニュアルを読めるし、講習会なんか必要ないのかも。アンディーもドイツ人だから、とりあえず、ここに来させられたのだろう。
「今年も上位を狙ってるんでしょ?頑張って!」
アンディーの丸々としたベイビーフェイスは、なんとも憎めない。
「で、マキコの調子はどうだ?」
「相変わらず、とっても元気だよ。まだ会ってない?今年こそレディース1位になるって張り切ってるよ!」
「マキコのことだから、それもありだな。がんばれ!」
・・・・アンディー、ちょっと太ったかも。
増岡さんに、ナビなんだから痩せろって、怒られなきゃいいけど・・・。
 
 車検を無事に終えた後、ベルサイユ宮殿近くにとってあるホテルにもどると、私を待っていたのは恒例の地図との格闘だった。
ベッドに転がりこみたい気持ちを抑え、IGNマップを広げ、蛍光ペンを口にくわえる。不安や焦燥、イライラを寄せ付けないよう黙々と作業を進める。すでに自分との戦いが始まっていた・・・・。
全ての行為に努力と忍耐と結果がある。どうせ戦うなら美しく結果を手に入れたい。

 数時間後、つなぎ合わされ、6畳ほどに広がったIGNマップが完成した。

100万分の1のサハラ砂漠がそこにあった。

・・・・ここを走りきるために私はあらゆる努力する。絶対に諦めない。うん、ワクワクしてきた!

ツカレタ・・・。

 時差ボケで重たい頭を抱えながら、何から書き始めようかと悩む・・・。

30分たっても頭の中には「ツカレタ」の4文字だけが浮遊している。

ツカレタ。ツカレタ。ツカレタ・・・・。

 正直なところ、当分は砂を見たくないし、これで「パリダカ」にも未練なく次の自分に進むことができるかもしれないと何度も思っていた。
だけど、レース中にすり減らしたものの代わりに得た
様々な思いと、アフリカでの一期一会が私を包み込み、それが新たな挑戦心へ変わっていくのがどうにも抑えられない・・・・。 困ったもんだ・・・・。







 1979年に始まり、世界一過酷と謳われ続けてきた「パリダカ」が、今年で20回目を迎えた。
この記念すべき大会に、私は友川のナビとして、再びあのパジェロで参戦した。 昨年のイージーすぎと不評をかったコースとは打って変わり、第20回目大会にふさわしく、1月1日にフランスののベルサイユ宮殿からスタート。スペインのグラナダを経由してアフリカ大陸に渡り、サハラ砂漠を制覇したあと、ダカールを目指した。

 名実ともに「パリダカ」にもどったレースは、「過酷」という文字にぴったりと当てはまった。帰国して間もない今も、「ツカレタ」以外の言葉が見つからないでいる。