午後4時、私たちは無遠慮なビラの使用人たちに耐えられず、ビバーク地に戻った。
日が高いうちはテントの中がサウナ状態になってしまうので、その中にいるのは10分が限界。寝るよりもルートブックのチェックをしておくことにした。三菱村には大きなタープが張られ、その下でくつろぐことができる。パスティスを片手にのんびりとチェックをしていると、情報を仕入れにどこかに出かけていた友川があわてて帰ってきた。
「コンボイを組まされた理由がわかったよ!」
「んー?」
「銃撃されたんだって!」
「え?」
「カミヨンが銃撃されて、1台盗まれたらしい!」
「はっ?」
「isuzuのY君たちも、足元に発砲されたんだって!」
「え~~~~っ!!!!」
バズーカ砲や自動小銃を持った7~8人の盗賊に襲われ、カミヨン1台、4輪2台が強奪されたそうだ。
バ、バズーカって・・・・。
医療班が言っていた、「一緒に行動しなければならない」って、そういうこと?テロリストがウロウロしてるからってことだったの?
何にも知らずに走っていた・・・・。
いや、もしかして何か言われたのかもしれないけど、それにしてもお気楽過ぎだ・・・・。
こわ~~~いっ!!!
もしその事実を知っていたらコンボイから抜け出すなんてこと絶対しなかったと思う。
知らないって凄い怖い・・・・。
ここ数年、政治上の問題やマリやニジェールに拠点を置くトアレグ族の部族紛争などによる危険回避のため、千篇一律のようなコース設定だったパリダカ。更にこの20年の間、メーカー間での開発争いでマシーンはモンスター的に進化した。同時に、食事をはじめビバーク地におけるサービスもスタート時とは比べものにならないくらい至れり尽くせりだ。が、それとは逆にパリダカ本来のエスプリである「冒険色」がどんどんと色あせていった。
オリオール氏はこの記念大会でアマチュアスピリットをレースに取り戻し、冒険レースへの回帰を促すため、様々な改革をおこなった。今回のレースでは競技車両のレギュレーションを厳しく改定し、同機種のみのGPSを使用させるなど、マシーンの能力よりドライビング技術やルートブックを解読する能力を重要としている。
休息日である今日までを振り返ると、それらの改革だけでなく、オリオール氏は競技者たちの記憶に刻み込むようなコースを用意していた。しかし、それは彼が考えていたよりずっと過酷なものとなり、どの競技者にも混乱を与えることとなった。 そして、それだけでは収まらず、銃撃事件までも起きていたなんて・・・・!!今年のレースは後々まで語り継がれることになるだろう・・・・。
この前半戦を生き残った競技車両は4輪が51台、カミオンが12台。ベルサイユをスタートした半分以下の数字を耳にして、まだレースに残っているのは、諦めないという「根性」だけではなく、「砂漠の恩情」を与えられたからかもしれないと 感じていた。
私たちの現在の順位は50位。・・・・現時点ではブービーだ。
色々と思考が止まらないけれど、とにかくもう少し疲れた体を休ませなければならない。 私はブリーフィング終了後、早々に寝袋の中に体を押し込んで、3日分の睡眠を取り戻す勢いで寝ることにした。

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